事実は小説より奇なり、なのです。

(冬城カナエ、マジになる)

うむー。なんだか休み明けが迫ってきて、焦っています。あれもこれもしたかったに……って、休み明けに後悔しないように、いろいろやっときたいことに取り組んでおかねば。。

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なんだかつまらない話なのですが、
ダンナがひょんなことから、子どものころから夢だった仕事に就けそうなことになり。でも、それを選ぶと30年ぐらいずっと激務になるから、今後、家庭を顧みることはなくなるだろうと。
だからどうしようか迷っていると、相談を受けました。

わたし、男の夢を邪魔する女には成りたくないなあと常日頃思っていて。
結局言えたのは、「あんたの好きなようにすればいいと思うよ」っていう一言だけでした。
でも、このこと一つ言うのに、すごく大変で。泣きそうで。
だって、やっぱり、嫌だもの。
いっしょにいて、いっしょのものを見たくて結婚したんだもの。

そしたらダンナが「アンタの本心が分かった」って。
考えてることバレました(笑)。
数日考えるって、その日の会話が終わりました。

んで、数日後。
結局、ダンナはその誘いを断ることにしました。
その業界で働くことはずっと夢だったし、好きなんだけど、何か先が見えちゃっている。この先の数年で何をやってこれをやって、30年後に定年退職して……っていう未来が見えちゃう。
きっと楽しいだろうけど、見えるものより、わたしや坊主と一緒に、見えない未来を目指す方が楽しそうだっていうんですよ。

あと“好きを仕事にしたくない”という思いもあったんだって。
好きなことを仕事にしちゃうと、好きなことをいつでもしなくちゃいけないので、そのことが好きでなくなるってことがあると思うんです。ダンナが思ったのはまさにこれ。
確かに不器用なヤツなので、仕事にしたら妥協ができなくなるんじゃないかなとは思います。

「俺が30年仕事に打ち込み続けて、定年退職して家に戻ってきたとき。あんたは、そんな俺を許してくれるのか」と聞かれました。わたしは「分からないなあ」と答えましたが、たぶん許すとは思います。
でも、理と情は、ここでは一致しないでしょう。
言葉では許すと言っても、わたしの心はたぶん彼から離れるでしょうね。

「ジジイとババアになったときに、会話がなくなるなんて嫌だ」
ダンナはそう言って、仕事を蹴ってくれました。
ウチらは、そんなわけで、どうやらジジイとババアになっても、あーでもないこーでもないと食卓で会話を繰り広げる夫婦になりそうです(笑)。


人はみんな、何かしらこの世界に痕跡を残したいと思ってるんじゃないかな、と思うんですよ。
わたしも過去にずっとそう思っていました。
生まれてきたからには、何かスゲーこと成し遂げたいって。
でも、歴史に名を残すことをするには、ある意味、自分の現在を捨てなきゃならない。自分の今の幸せを捨てて、未来の名声を手に入れるわけです。
それもある意味選択のひとつだけど。
でも、名声を選ばない選択肢もあるんですよね。

いずれにせよ、選んだからには覚悟を決めなければダメです。あの時、ああしていればなんて思い返すのはもってのほか。嫌なことがあったとしても、選んだからには耐えねば。
逆にいえば、それが選ぶという行為なのですから。

2008/08/29 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:2 | 「しゃべるウサギ」へ

これから(も?)メッタ斬りでいきます(笑)。

(冬城カナエ、マジになる)

なんか目が覚めました(笑)。

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最近、わたし自分の書いたブログ記事なり、日記なりがツマンネェなあと思っていたんです。書きたい話題もねぇし、とか。

唐突に分かりました。
自分、守りに入ってました(笑)。
なんか、変に回りに気ィ使ってました。

数日前に書いた、餃子作ってたら邪念に囚われたという。アレです。まさにアレ。昨日までのわたしは邪念で固まってましたよ。。。

一口で言うなら、周囲の目を気にしすぎていました。

例えば、
何か映画を見たって話をするときに、“ああ、待てよ。確か、この映画のことを某さんは、大絶賛してたなー。そしたら、わたしがケチつけたら、きっと某さんは悲しく思うに違いない”とか。そんな風に気を使ってしまって何も書けずにいたんです。

わたし、自分の好きな香港映画を“キライ”だとか“面白くない”って書いてある記事を読むと、普通にムカつくんですよね(笑)。だから、自分がされて嫌なことを他人に対してやってはいけないと思ってたんですよ。
自分が観た映画や漫画なんかにケチつけたり非難したら、それを読んで悲しむ人がいるだろうから、それはしてはいけないと思ってたんです。

でも、それは自分の本音から遠ざかることなんですよ。
ウソなんです。
面白い文章を書こうと思ったら、本音や本心から遠ざかっちゃいけないと思うんです。

わたしが冬城カナエとしてやりたいことって何だ? と。
自分の好きなこと(=文章を書くこと)を、自分の好きなように、好きなだけやることじゃあなかったか? と。
そう、自問自答して、ピカーッと光る答えを見つけました(笑)。

あくまで、わたしがネットで文章書いてるのは、ネットで友達見つけるためじゃないんです。
ネットで名を売って、物書きで食っていくためでもないんです。
わたしが本音で、本心から書いたことを読んでいただいて。それでも冬城を面白いなあとか、冬城とはウマが合うと思って読んでくれる方がいてくれれば。それがお一人でも、誰もいなくてもいいんです。

とにかく、
自分自身にだけはウソはついちゃならねえ、と。

そんなわけで目が覚めたのです。

実は、さきほどその話をダンナから指摘されて。それでハッと気付いたんですけどね(笑)。
だから、これから(も?)、冬城は歯に衣着せずに、物言います。

ただし一言だけ言っておきたいのが、わたしは他人を操作したり、他人に影響を及ぼしたくて、ものを言ってるわけじゃないってことです。
冬城が言いたいことがあるから、吼えてるだけなんです(笑)。

議論とかするの好きですから、もしこのブログに気に入らないことが書いてあったら、いつでもぶつかってきてください(?)。ガチ勝負しましょう。
もしくは、がっつり無視してくださいね(^^)。

あと、思うのは「冬城が黒と言ったから黒だ」じゃなくて、本当にそれが黒なのかを自分の目で確かめて欲しいってことです。わたしが黒だと思ったものを、白だと思う人は世の中にごまんといると思うのですね。
だから、まあ要するに、このブログに書いてあること鵜呑みにするなってことです。

……そんなこと、わざわざ言わなくても鵜呑みになんかする人いないでしょ、とか思いますけど(笑)。
まあ、今日思ったのはそんなことです。

最後に、ちょっと銀幕さんがらみの話題ですが、
今日からイベントシナリオ始まりましたよね。実は、わたしもね、集合ノベル書くライターに立候補しようかなーと思ってたんです。
諸口さんが1本書かれるって聞いてたし。わたしだってさあ、諸口さんのファンだしさあ(笑)。一度ぐらい同じところで肩並べさせてもらいたいじゃーん? とか思ったんですよ。
動機はそれです。いかにも不純な(笑)動機です。

そもそもわたしは、怪物退治の戦闘描写ってあんまり得意じゃないのに。今、手がけてるサッカー大会のノベルがあるから、無理するのはやめようと思って立候補はしなかったんですけど。
やらなくて良かったです。
こんな不純な動機で担当していたら、面白いもの書けるわけがないですよ(笑)。いい結果を生み出せるわけがない。あらゆる方に迷惑をかけるところでした。危ないところでした。。

ぶっちゃけトークで失礼しましたけど、とにかく、これからも本音でいきたいと思います。

そんなわけで……。あー。すっきりした。

2008/06/29 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:0 | 「しゃべるウサギ」へ

人の生死のインパクトは理屈じゃないのです。

(冬城カナエ、マジになる)

秋葉原の写真あったかなーと思って探したら、一枚もありませんでした。意外でした。よく行ってた気がするんですけど、どうやらわたしはあの街には縁がないようです。代わりに近場の上野の写真でも載せときます。

写真セレクト
さて、ひどい事件が起きたものだと思いました。
最近、さすがに産みたてで母親なので。自然に、ウチの坊主が加害者やら被害者になったらどうしようと、まずそっちに考えがいきます。

んで、次に思うのがね、身近に人の生死があれば、知らない人をとにかく殺してやろうという考えには至らないんじゃないかな、ということです。月並みな考えなんですけどね。でも、そう思う。

まさに、自分は産んだばっかりなので。大変な思いもしたし、毎日ちょっとずつ成長していくウチの坊主を見ながら、「ああ、こうやって一人の人間が形成されていくのか……」と。
自分の子供だから大切っていうんじゃないんですよ。
理屈じゃなく、命が大切なものだっていうことを、認識させられます。いやおうなく、他人の命を思いやる気持ちになれますよ。

それに、
事件を起こした彼のことをぜんぜん知らないで、勝手に言ってるだけですが、
彼も、自分の親なり家族なり友人なり、近しい人が死んで、その後自分の生活がどう変わるかを体験して。日常が、非日常に変わるのを体験していれば。他人を殺そうとは思わなかったかもしれない。“向こう側”に思いを馳せることもなかったのかもしれない。と思うのです。

きっと、向こう側が見たかったんじゃないかなあと思うのです。でも、実際に見れるのは、残酷なほどリアルなこっち側でしかないのです。たぶん、それは事件を起こす前に夢想した“向こう側”とは違うもの。死を見るには、自分が死ぬしかないし。死んだら、それを認識することは不可能だから。

んー。
と、いうのは、ふゆしろの個人的な考えですから。あまりマトモに取らないように(笑)。


話変わって、

わたし横浜駅で飛び込み自殺を見たことがあるのです。
なんか会社帰りに横浜に寄って。電車に乗ろうといつものポジションに向かって歩いていたら、駅員さんたちが慌しく、わたしを走って追い越していく。
なんだろうと思って、見てみたら。
向かい側の京急線の車輪の下に、なんか白いものがあった。
腕でした。

見た瞬間、一気に血の気が失せました。
でも心臓はバクバクして。たぶん、人生の中で一番、動機が激しくなったときでした。足はがくがく震えるし。でも、その光景から目が離せないんです。

わたしはその後、一週間ほど、その光景が頭から離れなくて。苦しめられたんですけど(笑)。
とにかくその時思ったのが、目の前で、人が死んだ、ということは、こんなにも強い衝撃をおこすものなのかと。
やっぱりこれも理屈じゃなかった。
テレビやインターネットの残酷映像とかで、モニター越しに人の死体を見ることは、きっとみなさんもあるでしょう。でも、生って違うんです。人が近くで死んでいるその空気を吸うっていうことは、ものすごく恐ろしいことなんです。
理屈じゃない、本能の成せる恐怖なんです。
わたしは、あんな気持ちを味わうのは二度とゴメンです。

話ずれてるっぽいけど(笑)。っていうか、人殺しをする前に死体を見とけば、他人を殺そうなんて気はしなくなるだろうっていうすごい論法に見えるかもしれませんが、それは気のせい、です、よ(笑)。


変な話で〆るのもなんなので、ウチの坊主の話に戻ります。

あのね、わたしね、自分が死ぬのが恐ろしいというか、嫌でたまらない人で。あと数十年で人生が終わっちゃうのかと思うと焦りで心がいっぱいになっちゃう人なんですけど。
子どもが産まれてから、その思いが薄らぎましたよ(笑)。
死にたくねーって今でも思いますけど、前ほどひどくなくなったです。
自分が死ぬのが怖い方は、子ども産んでみるのもいいかも。自分が死ぬことが、ひどく怖くなくなります。たぶん。

わたしだけかもしれないけど(笑)。

2008/06/09 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:0 | 「しゃべるウサギ」へ

格差社会っていうけれど。

(冬城カナエ、マジになる)

いやー。。
いきなりですけど、昨夜「ガイアの夜明け」を見ていたら、劣悪な労働条件で働くアルバイトや派遣社員たちの話をやってました。
見てたら、すごく思うことアリアリで(笑)。
いろいろツッコんでしまおうと思います。

この手の話題って、ヒンシュク買うかもしれないんですけど、でもね、わたしは、少しだけですけど、若年フリーター&無業者支援の活動をやってたことがあります。
彼らと、ずいぶん深く話をしましたし、彼らがどういう思考を持ってるか、肌で知ってるつもりです。
だからその経験を思い出しつつも。いろいろと書いちゃいます。

本日も長いです(笑)。覚悟してください。
(コメントくださったoさんへのお返事は明日にしますね(^^)。ありがとうございます)

夕方に、ちょっと追記しました(笑)。

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まずは、「ガイアの夜明け」で紹介されていた、ある女性の働き方のスタイルはおかしいでしょ、というツッコミ(笑)から。

その女性は以下のような条件で働いています。

36才、週五日のフルタイムの派遣社員で、杉並区在住。職場は新宿で、英語での電話オペレーター。
お金が無いため、弁当のおかずは梅干とふりかけのみ。
肝心のお給料は、25日の勤務で手取り18万円。半分は家賃に消え、交通費も一万円弱かかる。
2年間、この職についているが、給料は変わらず。またこの4月からは2万円カットを通告されている。

彼女は東大の大学院まで行った高学歴の持ち主で。研究者になりたかったものの、その枠が無く。しかたなく今の仕事を続けているとのこと。
「こんな生活では、貯金もできません」

って、おいおい(笑)。個人攻撃してもいいですか。
手取り18万円は、わたしは決して少ないとは思えないんですけど。それはともかくとして、なんで収入の半額もの家賃を払ってんの? おかしくね(笑)? 
そりゃ貯金も貯まらないだろうよ。
杉並区に住んでるってことは、中央線か井の頭線沿いなわけです。高円寺から西荻窪まで……ってアレ? その辺って家賃が高いところじゃないですか。なんで杉並区に住み続けてるの(笑)?
新宿が職場なら、小田急線沿いとかにすればいいじゃないですか。神奈川県の安い家賃のアパートに住めるし、池袋からのアクセスで、埼玉方面だって家賃安いですよ。
それでもダメなら、ルームシェアとかすればいいじゃないですか。実家は? 実家が関東ならそこから通えばいいじゃない。

わたしの姉は、神奈川県内から新宿まで通ってますけど、家賃6万円+交通費一万円強ですよ。36才で同い年です。離婚して身軽になって、ずいぶん楽しそうに暮らしてますけどね。。

で、それはともかくとして、
その彼女は、労働組合をつくり、会社側に賃上げ交渉をしていくことになります。会社の玄関前でビラ配って、声を張り上げてるわけです。

というかね、思ったのがね。そもそも、なんで東大まで行った人が、そんな会社にしがみつこうとするのかな、と。
2年間の間に、なんで見切りつけなかったの? 2年間、ずっと同じ賃金だったんでしょ。2年間の間に、家賃もっと安いところに引っ越して貯金を貯めて、次の会社を探すとか考えなかったの? その時に、体調を崩してたとしても、賃金カットっていう話になる前に、さっさと次の職を見つければよかったのに。

もうしわけないけど、わたしには共感できないなあ(苦笑)。
今まで、何も考えずに、ぬるま湯に浸かっててて。いざという時に対応できなくてバタバタしてるだけのように見えてしまうのです。

ちなみに、うちの姉は以前勤めていた会社から給料未払いをされたことがあるんですが、番組で紹介されていたような会社玄関前でマイクを握って叫ぶようなことは、しませんでしたよ。
姉は、さっさと弁護士に相談して、法廷に持ち込みました。
もちろん会社側の法律違反なんで、容易に勝てるんですが。でも、会社は本当に倒産してお金がないので、姉は結局、未払いの給料を受け取ることが出来ませんでした。
こういう結果も、一つの事実よ。。悲しいけど。

まとめると、
ひどい働かせ方をさせる会社に、どうしてそんなにしがみつくのかが分からない。
さっさと、そんな会社見捨てて、自分のためにもっといい労働できる場所に移っていけばいいのに。そのために、今いる場所でスキルを身に着けてキャリアを積むわけでしょ。
この彼女だって、結婚してないんでしょ。身軽じゃないですか。なんで、自分のために自分の時間を使わないのかなあ。努力するのがめんどくさいから??

思ったこと、ちょっと追記:
……あっ、そうそう。
もちろん、キャリアを積まない働き方もありだと思うの。結婚して配偶者の給料一本で暮らすっていう選択肢もあるわけだし。

だから、あくまで、わたしが気に入らないのは、
“こう生きたい”っていうのがあるくせに、他人や会社のせいにして、自分と向き合わないことなんです。。
会社に文句言うより、先にすることあるんじゃないの? っていう。


あとね、
ちょっと話変わって……。前にWBSでやってたんですけど。
デンマークでは、フレキュシュキリティーという労働政策をやってて。ものすごく柔軟な労働市場をもってるの。
会社が従業員を解雇するのにほとんど規制がないから、労働者自身が4、5年で会社を変えるのが当たり前らしいんですわ。
所得税を40%ぐらい取られる代わりに、失業したときの手当てが手厚くて。また教育と医療費が基本的に無料なんだって。

まあ、要するに、5年ぐらいで従業員がころころ変わるので、それぞれの会社がそのサイクルに対応した仕組みを作ってて。それが社会的に成功してるってことなんです。デンマークは産業などの国際競争力が日本よりぜんぜん高くて、産業が充実してますからね。

これ見て。おおお! と思ってさあ。
いいじゃん、コレ。日本人も、くだらん会社なんかにしがみつかないで、ころころ転職して自分のために生きればいいじゃんと思うの。
それも、適当に転職を重ねるんじゃなくて、斜め出世ってーの? 次の会社ではワンランク上になる、みたいな転職ですか。やれるでしょ。

格差社会、格差社会っていうけれど。
ほんとにアナタはワーキングプア? と、テレビに出ていた彼女に言いたいです。

冒頭に書いたとおり、わたしこの手の若年フリーターの青年たちによく話を聞いたものです。
彼らはホントに素直で、みんなイイ奴で。
わたし努力したい人は好きなので。話を聞いて、飛びたつ気がある青年には、きちんと真摯に話をしました。自分の体験を語り、励ましたり、アドバイスをしたりしました。

でもね、努力してないな、と思われる人の話を聞きこむと、大抵、何かを捨て切れなくて、それでハマッてるだけなんですよね。
大変だ、大変だ、っていうけれど。
中途半端に大変な状態を続けてて、けっきょくそれが、ぬかるみになってどんどん足を取られていっていることに気付いてない。または、それを直視しようとしない。

ほんとは飛ばなきゃいけないのに、
飛ぶには、今もってる荷物を、いくつか捨てないと飛べないのに。
捨てることができないから、飛べない。
だから、どんどん荷物が重くなるってことだと思うんですよね。

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そんなわけで……。

今日こそほんとに死ぬほど長い記事になりましたが。
わたしね、ここに書いたこと、実を言うと、ウチのダンナとごはん食べながらみっちり話して共通認識になったことなの。
ウチのダンナも要するに同意見なんです。

だからこそ、もし、わたしが書いたことに間違いやおかしなことがあったら、指摘をしてもらいたいのです。自分たちが間違ってるなら、それを知りたいのです。
いろんな立場の人たちのことを、わたしは理解したいんです。自分の思い込みで済ませるんじゃなくて。
なので、何か思うことありましたら、遠慮なくツッコンでやってくださいね(^^)。

2008/05/07 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:1 | 「しゃべるウサギ」へ

単身こいのぼりが、現代日本の家族を反映してる。

(冬城カナエ、マジになる)

今日は、コイツの話です。
かわいそうな単身赴任中のこいのぼり。↓↓↓

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何で、コイツが一匹だけになっちゃったのかな、っていう話からスタートです。

こいのぼりってのはね、鯉から龍に“出世”するから縁起が良いとされていて。本来は、父親、母親と、生まれた男の子の分で、3つの鯉がいるのが基本なわけです。(次男が生まれれば、4つに増えます)
つまり、こいのぼりっていうものは、そもそも家族構成をあらわすものなんです。だから、単身の、こいのぼりは有り得ないわけ。お父さんだけが単身赴任してるみたいなもんです。

おそらく、上記写真のこいのぼりは、単純にコストの問題で一匹だけになったと思うんですけどね。……それなのに、現代日本の家族事情を、うまく反映しちゃってるなあと思ったのです(笑)。

鯉はいずれ龍になるものですが、まるで“お父さんは、一人で勝手に龍になってね”と言わんがばかり(笑)。
龍になっても、たった一人じゃ。悲しい人生だと思うんですけどね。

写真セレクト
と、本来のこいのぼりの写真をはさみつつ。

あのね。先日、「子育て中のママを救え」、みたいな主旨の番組が、NHKでやってたの。
要するに子育て中の母親が、一人で孤独に子育てに追われて。誰にも相談できず、悩んで、精神的に追い詰められている、と。
それで、地域に子育て拠点(母親サロンみたいなの)を作って、支援したり。子育て中のママ同士で子供を預けあったりするような仕組みを構築した事例を紹介してたりしたんです。

もちろん、そういう支援はあっていいし、わたしもそういう支援をしている人たちを何人も知っていて。早く子どもを連れてこいとか言われてる身なんですけど(笑)。

それはさておき、その番組を見ていたら。
自分の子供を近所のママに預けた方が、自分の時間を得て、近所のファミレスで、ゆっくりお茶を飲むというシーンがありました。
そしたらそのママは、「こんなにゆっくりした時間を過ごせたのは2年ぶり」。とか言ってるんです。

他にも、
2才ぐらいの子どもを持つママが、しつけがうまくいかないとかで、悩んでいる事例をやってました。彼女の場合、両親は遠くに住んでいて。父ちゃんは単身赴任。そんなわけで、彼女はひたすら孤独で、24時間子どもと一緒で息が詰まる、と言うのです。

冬城はびっくりしました。

一言で言うなら、
父ちゃんが不在過ぎ。

確かに現在の冬城家のボウズは、まだ二ヶ月で、ほとんど寝てるだけで。これからずっと手がかかるようになるんだろうなと思うんですけど。それにしたって。土日になったらダンナがちゃんと相手してくれるし。少なくとも、お茶をゆっくり飲む時間ぐらいは充分にとれます。

それに、子どもが小さいのに単身赴任ってのが、どうも曲者で(笑)。単身赴任があるってことは大企業でしょ。大企業の場合だったら、子どもが小さいときは配慮してくれるはず。(最近は、男性も育児休暇を取れという流れもあるし。とくに体面を考えて、そういう対処を企業がとるはず)
……ということは、だよ。父ちゃんが望んで単身赴任してるという可能性が大きいんじゃないの? っていう。
父ちゃんが、勝手に「子どものことは母親に任せるべき」みたいに思い込んじゃってさ。子育てから逃げてるんじゃないの?

というか、いきなりまとめ。
少なくとも。たった数十分、ファミレスでお茶を飲めたぐらいで。「こんなにゆっくり出来たのは2年ぶり」というセリフを(それが事実でなくとも)ママに言わせてしまうパパが問題だと思うのです。

と、父ちゃんを批判してしまう冬城ですが。

でもね、父ちゃんばっかりが悪いわけじゃないと思うのです。
だって昔だって、子育てに父親が参加するってことはほとんど無かったわけです。何がおかしくなっちゃったの……って。
わたしは、残業に全ての問題があると思ってます。。

わたしが子どもの頃って、父ちゃんも母ちゃんも、夜の7時ぐらいには帰ってきましたよ。母ちゃんは日本橋で銀行員してたので通勤は一時間半かかったですけど、でも7時ぐらいには帰ってきました。
今みたいに、10時とか日付が変わる直前まで働くって、昔は有り得なかったわけです。
(飲み会で遅くなるパパもいると思うんですけど、それも、今ほど頻繁じゃなかったはず)
そりゃ確かに、土曜日が休みじゃなかったですけど。でも平日の夜まで、こんなに会社に時間を拘束されていなかったわけです。

わたしの友人(男性)が言っていた言葉を思い出します。
「夜、仕事から帰ると、子どもと奥さんはすでに寝てる。で、翌朝、出社するときには、子どもと奥さんはまだ寝てる。平日はぜんぜん話す機会がない」

いつの間にか、日本人の働き方が変わっちゃったんですよね。
高度成長期はとっくに終わってるし。企業が利益を生み出す構造が筋肉質になって。かけた投資に見合うリターンが、どんどん少なくなってきてるから。短い期間に少しでも多くの取り分を得るために、従業員にシワ寄せがいくんですよ。

企業のトップが、大体そんなような考え方してるから。従業員が、働くことに意味を見出せなくなってきて。それでヤル気も出ないから、必然的に長時間労働になると、わたしは思います。
仕事にやりがいを感じてたら、それなりに工夫をして、効率的に働く方法を見出すはず。ただ、だらだら長時間働くようなことにはならない……と思うんだけどなあ(苦笑)。

話ズレてきたけど、
とにかく、子育てのことで、「お母さんの育児ノイローゼを何とかしなくちゃ」というのは、お母さんをどうにかするよりも、お父さんを会社から少し助けてあげた方がいいんじゃないのってことを言いたい。

自分が子育ての身になってみて思うのは、今は便利なアイテムもいっぱいあるので。子育てについて人手が足りないとは、あまり感じないわけです。
家にいる母親に必要なのは、一緒にいてくれる人なんじゃないのかな。子育てを手伝ってくれなくてもいいから、お父さんがそばに居てあげるだけで、お母さんの精神的な負担は随分減るはず。

というわけで、
子育て支援対策とかいって、国家予算を組むよりも。パパに育児休暇を取らせるよりも。
まず、パパが早く家に帰れるようにする方が効果が高いんじゃないの。っていうオチです。

今日は語りすぎました(笑)。
あ、ウチのパパは、とても子育てに参加してくれるし。いいパパです。まあ確かにもう少し早く帰ってきてくれると、もっといいですけどね(笑)。

2008/04/21 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:0 | 「しゃべるウサギ」へ

このブログに花の写真が多いわけ。

(冬城カナエ、マジになる)

メールのお返事とか溜めつつ、、今日もちょっとした更新を。

あ、「煙草と少年」にコメントくださった方、ありがとうございました。キャスターのことあんまり詳しく書いてなくてすいません(笑)。ちなみにわたしは煙草吸う男性をよく書きますが、自分はほとんど喫煙経験がありませんのよ。ベルギーのモンテ・ヴェルドーっていうハーブ煙草を好んで吸っていた時期があるのですが、新宿のカフェで吸ってたら、店員に「お客様、そのお煙草はご遠慮願えませんか」って。まるで白昼堂々マリファナでも吸っていたかのような口調で言われるという、屈辱を味わったことがあります。蛇足ですが、その煙草は中華街の煙草屋で買ってたんですが、もう販売中止になりまして。それでわたしも煙草吸うのやめました。ぶっちゃけ、飽きたので。

写真セレクト
でね、本題。

このブログに花の写真が多い理由です。
……って言っても大した理由じゃないんですけど(笑)。

わたしね、父親を29才の時に亡くしてるわけですが、それまでは花の写真なんかぜんぜん撮ったことなかったのです。
花なんかに全く興味なかった。写真を撮ること自体は大学のころぐらいからの趣味で、フィルムの一眼レフでよく撮ってたんですけど。でも当時の主な被写体は建物とか、当時飼ってた犬とかで。花や自然のものを撮ることはほとんど無かったです。
興味が無かったから。

でもねえ。父親が死んだあとに、世界がひっくり返っちゃったの。ずいぶん前にも書いたことあるんだけど。
うちの父ちゃんが死んじゃったときに、この世の中にこんなに悲しいことがあるのかってぐらい悲しかったですよ。
で、わたしにとって、こんなにとんでもないことが起こったのに、どうして空の色が青いのかなあって思ったです。なんで緑とか真っ赤とか、この世の終わりみたいな色にならないんだろうって。

一人の人間がいなくなったぐらいで、この世の中は変わらないんですね。

その時に悟っちゃったの。わたしがいなくなっても、ずっとこの世界は残るんだって。こりゃスゲエって。人はこうやって生きて、そんで死んでいくんだって。
それでしばらくしたら、世の中のすべてのものが美しく見えたんですよね。有限のものだからこそ美しいんだってことを、言葉じゃなく感覚で知った、という感じでしょうか。
数年経った今でもそうですけど。目に映る全てのものが極彩色で、鮮やかで。とくに道端に生えてる植物が、とっても美しくて。

それで、花の写真をとるようになったんですね。。
わたしが載せてる写真って、自然に生えてるタイプの花が多いはずなんですけど。なんか道ばたに、ちまっと咲いてる花がとても好きです。
花の名前はぜんぜん分からんのですけども、とにかく、四季おりおりのいろんな花を撮るようになりました。そうしてると、なんかやっぱり、日本に生まれて良かったなあ、と、ちょっと感動するわけです。

おしまい。

2008/03/27 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:0 | 「しゃべるウサギ」へ

ベストパートナーは見つかるまで粘れ!

(冬城カナエ、マジになる)

妊婦生活もいよいよ締めくくりで。片付けしつつ、ちゃんと散歩して運動して過ごす一日です。oさんいつもコメントありがとうございます。参考資料もありがとうございます。やー、ほんといよいよですよ(笑)。

で、それはそうと、今日は建国記念日なわけですが、ウチはウチで。今のダンナと付き合いだしてから6年目になる記念日なんです。結婚記念日とか、結婚式した日とか、三つぐらい似たような記念日があるんですが、今日もとても思い出深い日です。

って、今日はね、ウチのダンナがいかに冬城としっくりいってるかっていう、ノロケ話じゃなくて(笑)。やっぱしパートナーって重要よ、っていう話です。

写真セレクト:やっと今年のウメの写真が撮れました。
わたしねえ。今のダンナの前に5年付き合ってた彼氏がいたんですわ。

その前カレとは、20代の後半を一緒に過ごしたって感じでねえ。長く付き合えば、男女って自然にお互いを調整しあうから、それなりにしっくりいくようになるんですよ。
その付き合いの長さ自体が、相手への愛着になってたんですね。
こういっちゃなんだけど、相手が好きだったんじゃなくて、相手と今まで付き合った年月や出来事に愛着を持ってたってことだと思うんです。

前カレ、付き合いだした頃は考え方もピッタリ合ってて。わたしのこと自由にさせてくれてたし。(※冬城は、自分を束縛するような男とは、そもそも交際できないです)。

ケンカすることも無かったし。ゆるゆるした関係で、居心地も良かったんで。20代後半にもなると、「ああ、わたしはこのままこの人と結婚して、まあ子供とか産んで、フツーの人生送るんかなあ」とか思ってたんですよ。

けどね、
ケンカをしたんです。最後の時だけ。一回だけ。
その最後の一回までは、ケンカではなく「わたしが彼を怒らせた」状態であって、わたしがすぐに謝ってしまったので、ケンカにはならなかったわけです。

今にしても思えば、年月への愛着ってのもあるんですけども、それに加えて、
いつも定位置にあるものが無い状態がイヤだったから、さっさと戻すために謝っていたというか。前カレ自身への愛情では無かったんですよね。
わたしだってムカついてたのに、彼氏の居ない自分がイヤだったから、自分が折れてたのかなあと思うんです。

要するに、5年経ってケンカしたその日に気づいちゃったのね。
アレ何でいつもわたしから謝ってるんだっけ? って。

それでね。そのまま別れたの。

……で、
何が言いたいかっていうと、
現状に甘んじようとすることは、スゲー簡単だってことを言いたくて。
わたし、この前カレのこと思い出すと、ホント別れて良かったなあと思うし(その彼には悪いけど)、今のダンナと一緒になれてホント良かったなあって思うのね。
わたしも、あのままテキトーに前カレと付き合い続けて、なあなあで結婚してたら、今みたいに幸せになれなかったと思うのね。

やっぱり、配偶者って自分の人生にとってスゴク重要な要素だしさ。長く付き合ったからとか、他に居ないからとかいう理由で決めちゃイカンよなあ、と思うのです。
合わないなら、合わないなりに別れるなり。相手に、どこがどういう風にあわないのかを説明して、バトルする(笑)なり、ぶつかり合わないとダメだなあと。

よく言われることだけど、お互いだけしか見ない夫婦関係じゃなくて、一緒に同じ目的を見ていられる夫婦関係がいいかなと思うんですね。

現在のふゆしろ夫婦は、後者です。
納得いかないことがあると、夫婦バトルが勃発するし。ウチの夫婦喧嘩はスゴイよ(笑)。何しろ龍虎対決だからね。物投げたりとかそういうのは無いんですけど。すごい本気のケンカします。
嫌いだからケンカするんじゃなくて、お互いのことが大切だから、大ゲンカになるの。本気でぶつかるの。

まあ……。そういうのがダメな人もいると思うので。性格にもよるとは思うんだけど。ウチはそんなわけですごくしっくりいってます。

とにかく、まとめとしては、なあなあで結婚しちゃイカンよと。しっくりいくパートナーは見つかるまで粘るか、今いるパートナーを変える努力をしようよって。
まあそんな話を、自分の記念日に思ったという、そういう次第です(笑)。

2008/02/11 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:3 | 「しゃべるウサギ」へ

陣痛は何で痛いのか

(冬城カナエ、マジになる)

銀幕さんのPLさんが上野に集まっておられるころ。わたしは、埼玉に住む従姉妹の家に遊びに行っておりました。
ダンナが車を運転し、首都高の金色のうんこの横を通り過ぎて、まあ二時間ぐらいで着くんですけど。

その従姉妹は、わたしとは同い年で、一緒にバンドやってたこともあるし。いい感じに頭がイカレている(※親愛表現)ので、かなり気が合うのです。
で、先月子どもが生まれたので、先輩ママとしていろいろ話を聞きました。

彼女は二日間の難産で、かなり大変な目にあったのですね。そのことをいろいろ話してくれました。
わたし、決定的に無知でカンチガイしてたんですけど。
出産って、ずっと分娩台に上がってするものだと思っていて。マタ広げて何時間も苦痛に耐えるなんてイヤだなあと思っていたのですが(笑)、実際には分娩台に上がるのは、生まれる直前の1時間ぐらいで。
それまではマタ広げてなくていいみたいです。
スイマセン下品で……。でも。あっ、そうなんだ。って(笑)。スゲー安心しました。

そんな話を聞いたりして。わたしは安心したんですけど。
今度はダンナの方が不安になったらしくて。大丈夫かな、大丈夫かなって。
「やっぱり、無痛分娩も考えてもいいんじゃない?」とか言い出したり。
でも、わたしは、
せっかく女に生まれて出産も経験するっていうこの局面で。陣痛だって、わたしは、しっかり味わいたいのです。無痛分娩なんて真っ平ゴメンです。(そりゃもちろん陣痛怖いんですけどね)

……という話になるのはですね。
実は、わたしの通っている産院では、無痛分娩を推奨していてですね。それとなく勧められたのです。先日。

相変わらず、前フリ長いですけど。今日はその話。

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両親教室に二人で行ったときに、院長さんから聞いたのですが、欧米では出産のときに背中から麻酔を入れて無痛分娩するのは、当たり前なんだそうです。
陣痛を味わう妊婦なんか居ないらしいですよ(笑)。

ウチの病院の院長は、アメリカの医師から「日本では、あの辛い陣痛を妊婦に味わせるなんて野蛮だ」とか言われたらしいです。
欧米では、どうやらそういう考え方らしいですね……。

院長曰く、
「子どもが生まれてくるってことは、とてもハッピーなことなのに、それに激痛が伴うのは変でしょう。妊婦さんが、出産に不安を抱かないようにするために無痛分娩がもっと日本で浸透してもいいんじゃないかと個人的には思う」
……とのことでした。

うん。まあそう聞くと、確かにそうかもしれないなとは思ったのですが。
その反面。この院長は野心家で、日本で無痛分娩の症例を増やして名を上げたいのかなあとも思いました。

ま、それは置いといて(笑)。

帰りの車の中でダンナとその話になりました。
二人とも思ったのが、
「そりゃ確かに陣痛が、なんで死ぬほど痛いのは謎だけど。でも、人間の身体に非合理的なことって無いんじゃないの?」
ってことでした。

つまり、陣痛の痛みには、それ相応の存在理由があるんじゃないかとウチらは思ったのです。

子孫を残すために、セックスがあって出産があるわけですけど。みんなエッチは大好きじゃない? ハッピーなことじゃない? でも出産も気持ちよかったら子ども増えすぎちゃって良くないから。それで出産は“難関”になってるのかな〜とか、最初そんなことも思ったのですが(笑)、

ダンナは、出産の際の陣痛は“最後の検品作業”なんじゃないかと言うのです。
ものづくりの仕事もしてる彼によると、
製品をつくる際には、最後の検品の作業が一番難易度が高くて厳しいチェックをするものだというのです。
だから、子どもも、生まれて出てくるときが一番難関になってるんだと。

なので、無痛分娩で産むと、最終チェックが受けられない状態で生まれてくるから、何か目に見えない欠陥が生じてしまうんじゃないかと。
そんな大胆な仮説まで立ててくれました。

まあ、それもあるかもしれないけど。

いちおうわたしの反論では、
人間が生まれてくる時には、すでに出荷できる状態で生まれてくるわけで。最終チェックを受けても受けなくても“すでに出来上がってる”ところは一緒なわけで……。
だから目に見えない欠陥が生じる、というより、万が一発生していた欠陥が見過ごされてしまう可能性が高くなる、と考えるほうがしっくりくるかな、というものでしたけど。

……。
そんなことをウダウダと、二人で話していたのですが。もちろんそれは仮説に過ぎず……。やっぱり、どうして陣痛が死ぬほど痛いのか本当の理由は分からないのです。

何でなんでしょうね。

冬城も、自分が体験したら、何か直感できるかな。
……だといいな(笑)。

2007/11/11 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:1 | コメント:2 | 「しゃべるウサギ」へ

敵ではないものを敵としてはいけないと思うのです。

(冬城カナエ、マジになる)

そんなわけで、お疲れ気味の冬城夫婦は、海に行ってきました。疲れはすこしだけ癒えたんじゃないかと思います。。

ちなみに、遅くなりましたが、8/27に「トリップ◎ブラザーズ」に“コレいいね!”ボタン押してくださった方ありがとうございます。
ううーん。現在の冬城は、この連載と、オンラインPBMの「銀幕★輪舞曲」さんと二つの活動でイッパイイッパイなんですね。
二つともとても楽しみながら書かせてもらっているのですが、時期・タイミング的なところから、最近どうしても銀幕さんの方に活動が偏りつつあります。
あちらは、わたしのペースでってわけにいかないので。

こんなことしてると「トリップ◎ブラザーズ」誰も読んでくれなくなるんじゃないかなあとか思いつつ、でも、今のところの方針では、変わりばんこに書いていくつもりです。ストーリーの切れ目がぜんぜん来ないですしね。
9月中に4-2書いて、そんで銀幕さん書いて、また10月に4-3書いて……とそんな風に計画はしています。

そんなわけで、
今日は、がらっと変わって仕事での出来事の話……。

写真セレクト
なんかね。本業がね、秋はいろいろと忙しいのにぜんぜん片付かないの。体調的に残業もできないし。たいして時間のかからないことだと思ってるとこうなるのよね。
そんな風に、今日こそなんとかしなくちゃ! と思って残業してた日に、運悪くクレームの電話かかってきて一時間半捕まってしまったのね。

今日はその話をすこし。

クレームの内容は、うちの会社で出している広報誌の中にA企業の広告が載ってるのが納得いかない、この会社をどうして載せるのか、みたいなそんなことです。
どうもA企業と取り扱い商品が同じお店の方らしいのです。

論理的な説明をしても、ハナからわたしの言葉など「弁明」にしか聞き取らないような相手だったので。時間の無駄でした。

電話の中で、話が発展してしまいその彼といろいろな話をしました。(彼は、終始、世の中に対するグチと不満を怒りをもって語るだけでしたが)
一例を上げると、彼は、自分のお店の売上げが落ちたのは、郊外に大きなショッピングセンターが出来て、客を取られたからだと主張していました。

わたしは、大きなお店が近くに出来ても、きちんと変わらず自分の商売を続けているお店の方を何人も知っていますし。イトーヨーカドーやイオンと共存共栄しているお店の方も何人も知っています。

でもそういった話をしても、彼にとっては、それは“非常に特殊な事例”に過ぎないらしく。
自分は弱者で、大企業に蹂躙されるしかないんだというのが、彼の主張でした。

なんか、電話を切った後に思いました。
なんで彼は、わざわざ困難な壁を自分で作っているのだろう、と。
なんで大企業を敵として認定しなければならないのだろう、そもそも大企業と中小企業では、客層も違うのに、なんでわざわざ同じ土俵で戦おうとするのだろう。

最新のエンジン積んだ車に対して、カローラで勝負挑んだって、負けるに決まってるんじゃないですか。……同じ道を走るのなら。
だから、違う道を走るんじゃないですか。
だから、多種多様な企業が存在しえるんじゃないですか。

彼の主張は、「棚からボタ餅が落ちてこなくなった。だから日本の政策が悪い」と言ってるのと同じです。
なんで待つんだろう。
サラリーマンでもないくせに、自営業者のくせに。
なんで棚からボタ餅が落ちてくるのを、待つんだろう。

ボタ餅が落ちてこなくなったのなら、自分で外に行ってどこかに買いに行けばいいじゃないですか。自分で調達しにいけないのなら、人に頼めばいい。費用はその人と折半にすればいいんです。

ちょっと話が分かりにくくなったかな……。

要するにさ、彼は世間一般で言われている通説に惑わされて、自分の頭で考えることもなく、思考をやめて、敵じゃないものを敵と認識して、それで戦えないよと弱音を吐いているということなんです。

なんで、大企業にはできない小回りの良さをアドバンテージに考えられないのか。自分の店の商品が誰にウケてるのか。対象顧客が分析できれば、今度は同じような客をどこで捕まえられるかを考えればいいだけでしょう。


なんか、
彼との電話でひとつ気付いたです。

わたしは、この世界を愛してるし。ハッピーに生きるヒントなんてどこにでも転がってると思っていますが、
同時に、絶望もすぐ手の届くところにあるのだなあ、と。

で、きちんと思考をしないと、人間、すぐに絶望に手を伸ばしちゃうんですね。考えるのが辛いから。「自分がうまくいかないのは、○○のせいだ!」って。

でもさ、世の中のせいにしたら、その先が無いんですよ。だって解決しようがないんだもの。
自分がうまくいかない理由を、世界のせいにする人は、絶対に大成しないと思います。
障害にあたったら、力を結集してやり過ごすなり、よけるなり、相手と手を組むなり、飛び越えるなり、さまざまなやり方があるでしょうに。

分かりやすい答えに、すぐに飛びつかないで欲しいんです。
「○○だから無理だ」じゃなくてさ、どうして○○だから無理なの? って。物事の本質を掴めば、世間一般の常識というものに囚われなければ、たいていのことには、ちゃんと解決策が見出せると思うのです。


電話の彼をなだめて、彼の会社の業務を聞き出し、今後の経営についてアドバイスすることまで出来たら、わたしも本物のコンサルタントだなと思ったんですが。
さすがに無理です。一時間半も怒りの言葉を聴き続けたんです。相手の論理の破綻も突っ込まなかったです。だってお腹すいてたし。わたし妊婦なの。早く帰りたかったの。結局たまってた仕事は何もできずに帰ることになったの(笑)。

なんかオチがないですが、そんなわけで大変な目にあったのでした。

2007/09/01 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:0 | 「しゃべるウサギ」へ

自分を過信してはいけないなあ。

(冬城カナエ、マジになる)

今日、日曜日もちょっと副業で出かけるのと、副業2件を片付けようと思います。貯めに貯め込んだ案件なので、小説書くのはその後になります。

先日、ダンナにも言われたんですが、妊娠したことを言い訳にして普段やるべきことをおろそかにしてないかと。
全くその通りだな、と。深く反省しています。

今までもそれなりに時間をつくったり、案件すべてに優先順位と重要度をつけて一つずつ片付けていくことはやってたんですが、
それは健康であることが条件で。
健康なときの生活リズムをもとにやってたわけですよ。

これを、なんか何もやる気が起こらない平日の夜のことを組み込んで考えていかないといけないわけですね。

もうちょっとシャッキリしないと。

ホントこの年になると、様々なことが自分自身との戦いですね。
もうここ読んでくださってる皆さんは知ってると思うんですけど、冬城はすごく自信家なので、よく自分の力を過信しちゃうわけです。
わたしが考えたからには、うまくいくに違いない、とか。

うまくいくに違いないって思っちゃうと、
細かい配慮も、みな忘れますからね。
しかもそういった傲慢さを敏感に感じ取る方に、底を見られてしまう。

自分に自信を持つことはいいことだと思うし、それをわたしは全く否定しませんけど、
でも、過信はいけないのです。
なぜって、リスクや危険性に目がいかなくなるから。
なぜって、協力者が寄りつかなくなるから。


昨日も、わたしが仲介してある事業をすすめている二社の件で。片方の会社が「A事業の協力は良いけど、B事業はやりたくないので。ちょっと冬城さんから丁重に断ってきてくれないか」と頼まれて。
わざわざ横浜駅まで出向いたわけです。

これ実は副業のことなので、もう一人の協力者M君と一緒に行ったんですわ。
急遽、頭をひねって代換案を持っていって、「B事業は、こちらの方で協力をもとめてる方がいるので、こちらの方でいかがでしょうか」って薦めたわけですよ。

わたし、自分が持っていった代換案、カンペキだと思っちゃってたんだよね。

だから、担当の人がわたしの代換案を、最初、気に入ってないことを見抜けなかった。疑問があるなら質問してくるだろう、ぐらいにしか思ってなかったんですよね。(担当の人はあまり喋る人では無かったのです)

そしたら、わたしの連れのM君が相手の反応を見抜いて、会社でどんな決裁とるのか、変更するのにどんな手続きが必要なのかを聞き始めた。
担当の人は、ちょっとグチを話すように、これこれこんな風な手続きをとるのでなかなか難しいんですよね、、と話し始めた。
そこで、彼は、わたしの代換案を実際に使うとしたらどんなスケジュール・手順になるのかを一つずつ聞いて固めていった。

わたしもコンサルタントの端くれです。
M君がとった行動は基本中の基本です。普段ならわたしがやってることです。
なのにわたしは相手に対し「お前、ここまでお膳立てしてやったんだから、この案で我慢しろよ。フツー、代わりの案まで持ってこないよ?」ぐらいに思ってたんでしょうね。

だから、きちんと相手のニーズを聞き出すという手順をスッ飛ばしたわけです。(M君が居なかったら、わたしは最後に“問題はありませんか?”ってうわべを聞くだけに終わったでしょう)

うん。
人間、謙虚でなくてはならないですね。
過信すると、昨日のわたしのように目が曇るわけですよ。
目が曇ると、いろいろなものが見えなくなる。


ちょっと落ち込みつつ、静かに反省しています。。

p.s.こんなところまで見てらっしゃるかどうか分からないけど、某様、変なメール送ってしまってスイマセンでした。ちょっとわたしイイ気になってました(泣)。

2007/08/26 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:0 | 「しゃべるウサギ」へ

営業活動は、好きな人に告白するのと一緒です。(+お返事)

(冬城カナエ、マジになる)

どうもバタバタします。やはり3月だなあとしみじみ。

先日の休みの日に、自分より若い人たちと、自分より年配の人たちのところと、主にコンサルティングの業務で二箇所に出向きました。
でね、思ったのが、世間の人はビジネスの手法を知らなさすぎるよと、いうこと。
確かにそんなの誰も教えてくれないんだろうなとは思うのですが(自分で掴むものだから)。それにしても……なあ?
前者の若者たち相手では、まあ知らないのも仕方ないな、と丁寧にアドバイスしました。
しかし後者は、わたしより人生の先輩なわけです。わたしの父親ぐらいの年齢の方々なわけです。だから後者の場では、丁寧に話しつつも、けっこう内心で憤慨してました。

せっかくだから、この日わたしがどんな場面に遭遇して、どんなアドバイスをしたかを記しておきます。
(まだお仕事してない方は、お仕事するときの参考に???)

写真セレクト

その1 「営業活動は、好きな人に告白するのと一緒です」

夕方に会ったのは、とあるボランティア団体の若者たちです。半分は大学生でした。
彼らは、ある地主さんの持つ土地で、ボランティア活動をさせてもらいたいということでした。その地主さんを紹介したのはわたしで、後日、みんなでその方を訪ねることになっていました。
わたしが仲介した手前、地主さんにも失礼があってはならないので、事前にどんな風に話しを売り込むのかを、前もってアドバイスしに行ったのです。

で、地主さんにそこで自分たちが活動したいという動機をどう伝えるのかな、と思って彼らのプレゼンテーションを10分強、聞きました。
きちんと美しく作られたパワーポイントのドキュメントを操りながら、二人の大学生ちゃんは、以下の点を挙げました。

・A駅は地の利がよく、メンバーが集まりやすい。
・自分の地元のB駅や、となりのC駅はすでにボランティア活動が活発で、今から始めるには向かない。
・A駅の飲食店でわたしはバイトをしている。その時に通りかかって、このまちで活動したいと思った。

さて。上記のうち何が余計なコメントで。どれが強調するべきコメントか分かるかな(笑)?


わたしのアドバイスは以下です。

「あのね、営業とか売り込みは、好きな男の子に付き合ってっていうのと同じ事なのよ。あなたも、好きな男の子が出来たら、相手がどんな好みなのか研究してから告白するでしょ、フツー(笑)? 好かれたいから下手なこと言いたくないでしょ? ……相手の立場に立って、自分を見るってことよ。相手から見て、自分の持っているカード(ネタ)の中で相手が好みそうなものを順番に出していくのが常套手段なわけ」

「だから、今あなたが言っていた“B駅やC駅がダメだったからA駅”っていう論法は、まるで“他の男にはもう彼女がいるから、あなたにしました”って言ってるのと同じじゃない? それじゃ相手はピンと来ないと思うんだ」

「どうだろう? A駅の飲食店でバイトをしていて、A駅がすごく好きになったからここで活動したいってことを強調して伝えてみたらいいんじゃないかしら? 相手の身になってみれば、“おっ、この子は、ウチのまちのこと気に入ってくれてるんだ”って親近感沸くじゃない?」

って言ったら、彼女は物凄く納得してました。

ここでわたしが、「そんな自己中心的な理由を言ったら、相手が気を悪くするよ」ってストレートにばっさり斬りつけるのも有りだったんだけど。それじゃその大学生の子に伝わらないと思ったのね。
だから他の言い方をして伝えました。

要は客観性なわけですよ。自社の商品をアピールするにも、相手が一番ピンとくるネタから入っていけば、スムーズでしょ。
自分の事情とか、自社の都合は後回しでいいの。

以前から言ってるけど、相手の欲望を知るのが、人を動かすための常套手段なわけですよ。
相手が自分の何を欲するのか。それを知れ、ということです。

最近ぽつぽつと就職活動の話題をお見かけするのですが、
あれも一緒だと思うのです。
人より多くしゃべることが必要なんじゃなくて。人より違うことに気付いて、それを的確に話すことが必要だと思います。

わたしが採用担当だったら、
上っ面だけの中身のないことを10喋る奴より、
冬城が何を欲してるか判断して、その話題を1でもする人がいたら、その人を採ります。


で、長くなり過ぎたので、
【その2 「会議をアイディア出しだけで終わらせるな」
は、明日以降にします。

ちなみに、わたし、この日のお仕事で、
自分より年上のオジさんたちにアドバイスするときは全然緊張しなかったんだけど、大学生たちにアドバイスするときには、手が震えちゃうし、なんかスゴイ緊張してしまいました(笑)。

なんていうか“相手が傷つくんじゃないか”って。それが怖いんだよね。だから緊張したの。「わ、分かった?」とか恐る恐る聞いちゃったり。「あっ、ごめんね。ちょっとキツかった?」とか。

まだまだ冬城カナエもヘタレだなと思います(笑)。


てなわけで、
お返事にいきます。。
ほんと皆さんありがとうございます(感涙)。

拍手&メールフォーム御礼

■3/10に、メッセージいただいたTさんへ。(続きを読む)

すいませんねえ。こんなところでお返事で。。
お元気そうで安心しました。そうですね。愚痴も言わないとスッキリしないですしね(笑)。
上京されたら、美味しいお店はいくつかご紹介できると思います。声かけてください(^^)。ではでは。。


■3/11に、「遺言」に“ いいんじゃなーい?”ボタン押してくださった方へ(続きを読む)

ありがとうございます。
自分で自分の小説を珍しいって言っちゃうのもナニがアレかなあと思うのですが、他にあんまりこういう小説書かれている方を見つけられなかったのです。
自分は流通業に身を置いているので、この業界が大好きです(笑)。またこういう小説書きたいし、書くと思います。その時はよろしくお願いいたします。


■3/11に、「大事な底」に“ワケ分からん!”ボタン押してくださった方へ(続きを読む)

ありがとうございます。壁紙が怖すぎるというコメントも(笑)。泣かしてしまいました?? この小説は短すぎて、ワケ分からんと思われる方も多く。短いところがイイという方も多く(笑)。
作者としては、どうにでもお好きなようにといった感じです。で、壁紙は3年前ぐらいのわたしなわけですが……。本人は怖くないですよ(笑)。


■3/11に、「金曜日、夜空に届いた煙草の煙」に“いいんじゃなーい?”ボタンとコメントをくださったhさんへ(長いレスですよ(笑)

hさん、どーも。いつもありがとうございます。さりげに、ここの書き込みでレスをしていますが、気付いてますよ、ね(笑)? (って、言っても物凄く一言レスですけど……)

夜景の背景は、わりとずっと出したときから決めてました。もちろん自分で撮影した写真ですよ(笑)。大桟橋(※あかいくつはバレエに向かないにも出てくる横浜港の1スポット)から、赤レンガ倉庫の方を撮ると、こんな風になります(^^)。。

そうですよね。麻薬王が更正して家庭教師って有りえないですよね(笑)。わたしなんかたくさんの人を騙してしまったようで、心苦しかったのです(笑)。
ノリで見分けてもらえて本当に嬉しいです。
そうこなくっちゃっていう(^^)。

あの、ピクリとも動かなくなるシーンが良かったとのこと。うわーい。
こうして“ここんとこで、こう思った”っていう感想が、ほんとに助かるっていうか、嬉しいです。ありがとうございます。
人によってツボとかが違いますからね〜。果たして、わたしはマトモなノリとペースを保てているんだろうかと絶えず気になるものですから。。

お茶目な西尾社長を気に入ってもらえて良かったです。
なんかわたし自身の憧れっていうか、死期が近くても彼みたいに明るく振舞っていたいと、常日頃思ってるもので……(照れ)

ちなみに、
映画の主人公クラスの人間が、こういう風に死んだフリする映画って実は、いくつかありまして。わたしは2本見たことがあります。(もちろん本作と、演出はまるで違いますが)
どれって言ってしまうと、面白さ半減なんで黙ってますけど(笑)。。

現代社会もののこととか、余韻のこととかお褒めいただいて恐縮です……(照れ照れ)。。うん、でもやっぱりわたしは現代ものが好きですね。前も書きましたけど、人間を一番書きやすいというか。技巧に凝れるのがイイですね。
きっと三谷幸喜も同じこと思ってるんじゃないかな(笑)?

うん。なんかやっぱり冬城は、会話を書くのが好きなんですね。
それも二人。1対1。「しゃべるウサギ」はそんな小説ばっかりですね。いつもおんなじノリに情けなくもなりますが。。

今後もこんなんばっかりだと思うんですけど。(わたし自分が好きな小説しか書かないし。。)
どうぞ、飽きるまでお付き合いくださいませ(笑)。


■3/12に、メッセージくださったkuさんへ (こんなところでお返事すいません)

コメントありがとうございます。「ソードフィッシュ」、うん。見てたとき、kuさんのアレ思い出しましたよ。ホントに。M16とか、黒塗り装甲ハマーで銀行に突っ込むところとか。ああいう武器とか車の映し方が、男の子向けっぽくて。(わたしの隣りでダンナが喜んでましたよ。いちいちわたしに、あの銃は精度が高いだの低いだの解説しようとするし)
いや、でも、kuさん中学生ってことないでしょ(笑)。
……って、ほんとに?? マジだとしたらまたショッキングです。
泣いちゃいます(泣)。
でも、あの映画クールですよね。分かってもらえて嬉しいです。。


■3/12に、「灰色の失踪」に“ホロッときた!”ボタン押してくださった方へ(続きを読む)

ありがとうございます。
ホロッときました?? ほんとに(笑)? って、いやいやすいません。なんかギャグなんだかなんだか分からないようなアレなので。“中折れ”とかも含めて。ミョーな仕上がりになっているものに、ポチッと一言。ありがとうございます。
今後はあんまりこういうのは書かないような……気がします。。すいません。

2007/03/12 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:3 | 「しゃべるウサギ」へ

ココロにも弾力を(+お返事)

(冬城カナエ、マジになる)

あのー。なんかそろそろ33才になるまで一ヶ月とちょっとって感じなんですけど。わたし勝手に回りの人たちみんな同じ世代のような感覚でいました。某様が「すごいよマサルさん」チューガクセイで読んでたって、聞いてすげーショッキング。わたし大学生だったんですよ。下手すると社会人になってたかも。恥ずかしい。。

某様のところでは「ジョジョの奇妙な冒険」の話でも盛り上がったんですが、わたしがジャンプを一番良く読んでいた中高生の時期に、1部〜3部がやってたんですね。だから一番印象に残ってるし、とくに2部と3部が好きなのです。
わたしの年上のお友達たち(今35、6才)は1部と2部までしか認められん!(スタンド編からはジョジョとは認められないんだって)とか言う人もちらほらいるしね。まあ世代間ギャップってやつでしょう。。(わたしはどの部もわりと好きです)

って、なんか自分がギャップレスなことを正当化しているかのようだなあ(泣)。↑↑↑ そんなつもりはないのですが。。

写真セレクト
てなわけで、和やかにレッサーパンダなんかを眺めつつ。ちょっとマジメな話を。

弾力性のない棒は、横から力を込めれば折れてしまいます。
しかし弾力のある棒なら、横から力を入れても、ある程度は、しなって折れないですみます。

そんな例を引いたのは、えっとね。
落ち込んだときなんかに、“こうだから”、“ああだから”って、あまり言葉を多様しない方がいいんじゃないかなあと思ったからなのです。

逃げ場がなくなるじゃないですか。
余裕の部分がなくなって、心が折れやすくなってしまいますよ。

わたしも落ち込んだり、嫌なことがあったときって、むらむらと言葉がこの状況を打破できないか、自分が納得できるように状況を説明できないかって考えたりすることもありますよ(笑)。
でも、まあ途中で面倒くさくなるか、後悔することが嫌いなので(無駄なことだからです)スパッと諦めます。

そんなわけで弾力性のある棒の話をしました。

わたしの思う“強さ”って、骨の強さで。外殻の強さではないのです。
わたしたち人間には骨を覆う肉があって。いろんなことが出来るじゃないですか。
骨が強ければ、芯が強ければ、たいていのことは乗り切れます。
これについては、断言します。

で、どうやったら骨や芯が強くなるのかって。
それは自分がいる場所を固めるということですから、
己を見つめることです。

難しいことは百も承知ですが、少なくとも、
他人や、周辺環境を非難することでは、骨は強くなりません。
相手や周りがどう、ではなくて、
自分が、どうハラを決めるか、だと思います。

いつもながら、ババアくさい発言で恐縮ですが、
他人を傷つけることは、自分を傷つけることと一緒だと思うのです。
よく、騙される奴と騙す奴とどっちがいいかって話で、みんな騙す奴の方がいいって言うんですが、わたしは騙される方がいいです。
(……ああ、もちろん衣食住がとりあえず足りていて生命の危機がない状態であることが前提の話ですよ(笑))

騙す人は相手と自分の心を傷つけてしまいますが、騙される人は不利益は被っても自分の心は傷つかないからです。(と、わたしは思うのです)

良心なんか持ってない人だっているっていう反論あるかと思うんですが、わたし個人にとっては良心も真心もない人生など全く価値がありません。(比較対象に入らないのです)
不利益を被ることが“負け”だと思う方もいると思うのですが、わたしはそうは思わないです。

綺麗ごとで、絵空ごとだからこそ、実現していくのが楽しいのじゃないでしょうか。
むつかしいことだから挑戦するのが楽しいのだと、冬城は思うなあ。。

そんなわけで、ケンケンガクガクで、ツンツンしちゃったココロをレッサーパンダ(上記)で和ませてあげたらどうかしらと思う次第です(^^)。
ついでにこれも↓↓追加しとこ。ペンギン大好き。他人に思えないデス(笑)。
写真の下に、小説の感想のお返事いれますね。

P1040396.jpg

拍手&メールフォーム御礼

いつもながら長い書き込みのあとにお返事でスミマセン(泣)。

■トリップ◎ブラザーズの新しいの、について、ツッコミと感想をいただいたTさん、ありがとうございます。

ツッコまれたよ、ツッコまれた(笑)!
しかも注釈の部分を(笑)。
いやー、やはり下手なことは書くもんではないなあと思い知りました。素直にいらない部分の注釈は削除しようと思います。
それで、ハイ、そうなんです。彼の見せ場なのです(笑)。この3-1は。おいしいのです。“実は〜”が好きなので、これから先もどうぞご期待? ください。

■1/8に、「海辺のみかん」について“ステキ!”っていただいた方、ありがとうこざいます。

うん、その、わたしもオンナはオンナなので、男の人はちょっとぐらい強引な方が好きかなあというそういう小説です。
このサイトには“ステキ!”系は実に少ないのですが(泣)、(……というか、これ一本?)最近、“漢!”に偏っているので、たまにはステキ!も書いてみたいです。

■hさん。トリップ◎ブラザーズの新しいのに“続きを早く!”と、コメントいただいてありがとうございます。

ハイ。「月妖ブラザーズ」の意味はご正解です(笑)。
彼の方は、何気に大活躍なんですよ。今までぽつぽつとしか出番ないですしね。やっとブラザーズなわけです。
「ええ!?」と驚いていただいて本望です(^^)。良かった。。

見事なスタートダッシュは、笑ってOKですよ(笑)。ジャブぐらいのつもりでしたが笑っていただけてよかった。(いちおうコメディだし)

兄も弟もそれぞれ領分があるので(笑)。今後は役割分担でいくんじゃないでしょうか。……そうですね、ベンジャミン“も”応援してやってください。

ありがとうございました(^^)。


■本日0時ごろ、拍手をいただいた方、ありがとうございました。

どのアレに対してポチッといただいたのか分からないのですが、
ウチのサイトデポチッ。ありがとうございます。
最近人通りが激しいので、飲まれないよう頑張りたいと思います。。

2007/01/09 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:0 | 「しゃべるウサギ」へ

他人を叱るには勇気がいる

(冬城カナエ、マジになる)

すいません。大変申し訳ないのですが「トリップ◎ブラザーズ」の更新を年明けに送ることにしました。ちょっと仕事やら何やらでお待たせしている案件がありまして。そちらを優先することにしました。ホントに申し訳ありません。その分、ブッ飛ぶぐらい面白いもの書きたいと思います(笑)。

写真セレクト
それで、本日は、昨日の電車の中でわたしが体験した話をします。
最近重めの話が多かったので、軽めにしようと思ったのですが、うっかり長々と書いてしまい、「冬城マジになる」カテゴリ行きの話題になりました。ご興味のある方、お付き合いください。

えー、
東海道線に乗っていたら、前の座席に子供二人と母親と祖母という4人組がいたのです。午前中の電車は込んではいないので、子供たちはワァワァ騒いでました。
わたしはi-podを聞いていたので、騒音はどうでもいいのですが、子供たちはやがて靴のままで座席に寝っ転がり、なんかオモチャで遊んでいます。

さすがに目についたので、親をチラと見てもとくに何もする様子がないので、仕方ないので席を立って、その子に「なあ、そこは他の人も座るところだから、靴で上がっていい場所じゃないんだよ」 と、言いました。
「遊んでもいいけど、ここは家じゃなくて電車の中なんだから、きちんと座って遊びな」 と。

そしたら親が立ち上がって「すみません」 だって。

まあ逆ギレされないだけマシかもしれないけど。でも「すみません」 は違うだろうと(笑)。
わたしは別に迷惑こうむってたわけじゃない。ただ、その子には今のうちにちゃんとしたことを教えないと、将来その子のためにならないからその子にそのことを理由を含めて伝えただけだ。
だから「すみません」 は、違うんだけどね。

もし、わたしに子供がいて、同じようにまったく知らない人が、正当な理由で自分の子供を叱ってくれたら、「ありがとう」 ってお礼を言います。

先日の話題にも通ずるところあると思うんだけど、
人を叱るっていう行為は、叱る側にもスゴイ労力と勇気が必要な行為なわけだよ。それを自分の子供のために実行してくれてるんだって考えればさあ? わたしなら、とても感謝しますね。

ちなみに、
わたしが仕事で出会った、某所のお惣菜屋の経営者の話ですが、
彼の店では一見ワルっぽい若者の従業員が店頭にたくさんいるのです。でも彼らは見た目と違ってとても礼儀正しいし、接客態度もすごくいい。(店も、とても繁盛している)

だから、
「従業員に対する教育がすごく行き届いてますね」 という話になって「どんな風に教育してるんですか?」 と方針めいたものを聞いたら、

彼は「本気で叱ることです」 と、一言答えてくれましたよ。

それを聞いて冬城は、「はぅあ! そうだったのか!」 とまた開眼したわけです(笑)。
ものすごいシンプルな答えなのですが、そうなのです。彼のそのたったの一言が真理をついているような気がして、冬城は衝撃を受けた。

彼が本気で、その子のことを考えて怒るから。本気で店のことを考えて怒るから。だからその子は襟を正すんだと思うのね。
「この人は、自分のことを本当に考えて怒ってくれているんだ」 と感じ取れば、叱られた子だって、ちゃんとまともになろうって思うでしょ?

そういうもんじゃないかなあ。

ちなみに余談ですが、わたしが社会人に成り立てぐらいのときかなあ。
電車の中で、小学生1年生ぐらいの女の子に、算数の問題を矢継ぎ早に出して、考えられる間も与えないぐらいに娘を追い詰めている母親を見かけたことがあるのです。

その教え方が、あまりにもあまりに子供を追い詰めるやり方(「ホラ、また間違えた! さぁもう一度!」みたいな)をしていたので、
その女の子が可愛そうになって。
「あの、他人のわたしが言うのも何なんですが、もう少し彼女にゆっくり考えさせてあげたらどうですか?」 
って母親に言ったことがあってねえ。

分かると思うんですけど、当然、母親逆ギレ。お前は何者なのよ? という話になったりして。仕方ないから、家庭教師をしていた経験があって、とか適当にでっち上げて自己弁護よ。

でも、そのおかげで、質問攻めから女の子は逃れられたわけです。

母親をなんとかなだめることは出来まして、彼女たちはそのまま電車を降りていきましたが、最後にその女の子がチラッとわたしを振り返って。
母親に気付かれないように、こっそり手を振ってくれた。目では「ありがとう」って言ってね。

それを見て、わたしはちょっとホッとしたというか。母親にけっこうな剣幕で迫られてダメージを受けていたのですが、まあ女の子の方には何かしらの人生の足しにしてもらえるかもな、と思って。

もう、この話出しちゃうと、うまいオチを付けられないんで恐縮なんですけど。親の教育って大事だよね、というか。親が子供のことを考えて厳しくあるっていうことは大事なんだけど、方向を間違えちゃいけないよ、とか。そういう話になるのかなあ。

そんなところで(^^)。

2006/12/17 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:0 | 「しゃべるウサギ」へ

冬城がオルタナティヴなわけ(真面目な話ですよ)

(冬城カナエ、マジになる)

いい感じにビョーキが進行していて。信号が変わる直前のピッコンピッコンって音あるでしょ? それから書類にマーカーでアンダーライン引いた時のシュッていう音あるでしょ? あれがターンテーブルの音に聞こえてしまうのです(笑)。仕事中なのに脳内でギターのアルペジオが始まって、incubusの曲が再生されてしまいます。

i-podに落としたプロモビデオもなかなかです(笑)。ヴォーカルのブランドンが、あのキレイな顔でf..kとかb..tchとか、pi..s offとか、kiss my as..holeとか、汚い言葉使うのかと思うと、キャーどうしよう。萌えちゃいます(笑)。来日公演はきっと2月か3月ごろだと思います。今から楽しみです。

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てなわけで、今日はわたしの好きな音楽のジャンルを表す言葉「オルタナティヴ/Alternative」について。
なんでわたしが、ブログのタイトルに付けちゃうぐらいこの言葉が好きなのかについて語ります。

この言葉は、日本語にはうまく合うニュアンスの言葉がありません。よく代替とかいいますどね。実際にgoo辞書を引いてみると。

al・ter・na・tive

━━ a. どちらか一方の, 二つ(以上)のうちの一つを選ぶべき; 他にとるべき.
━━ n. 二者択一; どちらか一方; 選択肢; 他の手段, 掛け替え.

とか書いてあります。
気になったので、ほかにも広辞苑やら英英辞書やらをいろいろ浚ってみました。

大体は、
変化とか、代わるとか、もう一つの、とかそういう意味で、“形式にとらわれない”というニュアンスが付け加えられるようです。もっと語源を探りたかったんだけど。ここまでしか分からなかった。

わたしが人生をかけて追求したいテーマは、一口で言うなら人間の“変化”であり“成長”なのですが、変化や成長を現す英語はいくつかあります。Change とか Shift とか transformationとかね。

でも、わたしが追求したい人の成長は、Alterlation であり、 Alternative なのです。
Change は、パッと変わっちゃうことだし、 Transformation は、化学反応的な意味合いのようだし。Shift は、“推移”なのよね。

確かに、人の成長はだんだん変わっていく“推移”なのかもしれない。でも、わたしは、それとは何か違う気がしているのです。人の変化や成長は、物事の裏と表を見ることというか、陰陽でありプラスとマイナスであるというか。。
えーと。shiftという言葉では、何か人間が進む道が一方通行な気がするのです。人が進むべき道はたった一つなの? みたいなね。

だから“型に捕らわれない”変化を表すAlternativeという言葉が好きです。
草花は太陽に向かって伸びますが、同時に地上で根っこを伸ばしたりもします。横に葉っぱも伸びていきますよね?

あと、shiftという言葉で変化・成長を表すのが、イヤなわけは、わたしの苦手な“自分探し”って言葉にもつながる感じがするのです。
わたし自分探しって概念があまり好きではないのですよ(笑)。だって何で“そこに居る”のに他の場所に探しに行かなきゃいけないのさ、と思うのです。
それは、shiftしたり、changeして探すものではないと思うのです。
alternativeに最初からそこに存在する自分に“気付く”ことではないのか、と。

で、
冬城は、alternativeという言葉の中に、ふと何か一部分が変わるというか、ある日突然違う世界が広がっていることに気付くというような。方向性のないもう一つの可能性にジャンプするようなものを感じるのです。

音楽とか、小説とか、芸術活動ってみんなそうだと思うんですけど。ずっとうろうろして頑張っているうちに、ある日突然、自分が、今まで居たところよりもっと上のステージに上がっていたことに気付くものだと思うのです。
冬城は、自分の人生を振り返るとそういう局面がたくさんありました。

人の成長というものはそういうものなのじゃないかなあ。


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で、ここから話しが変わっていきますが、
そういったように、一人の人間が次のステージに上がるときに起爆剤にするものは、苦労や困難などの障害だと思うのですね。

課題や問題をクリアすることで、いつの間にか成長している。
だから、ことわざにもあるように“若いときの苦労は買ってもせよ”なんじゃないかなあと思うのです。
苦労することって、人にとって大事なことだと思うのです。


それで、先日のわたしのブログの記事、「人生は厄介だからこそ面白い (12/03)」について、桐生さんが「雑記」の中でいろいろご自分の思ったことを書いてくださったのですが、その中で少しだけ触れたいことが(^^)。

桐生さんは、
> ……NPO法人のAさんの言葉(の冬城さんの解釈)として
>「厄介だけどお互いにメーワク掛け合ったら楽しいよ」とある
>のですが、私に言わせれば、迷惑を掛けられて楽しいなら
>それはもはや迷惑ではない、ということなんです。

と仰せっていたのです。が、それはえーと。なんていうか、ちょっとした反論というか、それだけではないというか、意味合いを追加したいんです(笑)。

わたしの言う意味では、確かに“もはや迷惑ではない迷惑”も有りなんですよ。桐生さんがおっしゃられる、“実際には迷惑でないこと”も有りなんです。

だけど、わたし(とAさんが言う)迷惑は、それだけじゃなくて。
迷惑は迷惑なのです。
厄介ごとは厄介ごとなのです。イヤなことで、それは“苦労”に他ならないのです。

でも、Aさんは、こういった迷惑な、厄介ごとには、それをクリアして解決していくことの楽しさも付いてくるよ。というニュアンスを込めてお話をされていたのです。(冬城のカンチガイかもしれないけど。)

そう思ったからこそ、わたしは心の底から共感したわけです。

ヘンなたとえ話で、大変恐縮ですが、
面白いクイズの問題に悩めば悩むほど、答えに到達したとき「わぁっ」て嬉しくなるじゃないですか。
おしっこするの我慢すればするほど、おしっこするとスッキリするじゃないですか(失礼)。

そういうことかなあ。
苦労とか課題解決するのって、体験してみるまでその楽しさが分からないんじゃないかと思うのですね。
例えば、「あと、もう一歩踏み出したら、自分が傷つく」とか思って、何か新しいことを始めるのを躊躇するのは、挑戦することをやめることは、あの課題解決の楽しさを放棄することにもなるわけで。
だから冬城は、そういうのは勿体無いことだなあと思っているわけです。

何かに挑戦してみてボロボロになってみるのも楽しいと思うのです。
復活した時にその時のことが一生の思い出になりますからね。
(もちろん、ベストを尽くさないと禍根になるかもしれませんがね(笑)

ホラ、だから「若いときの苦労は買ってもせよ」なのじゃないかな。
若いときの苦労は買ってでもして、それでAlternativeに、変化していくのが冬城の信じる生き方です。。。

えー、そんなところです。
桐生さんには、ネタにしていただいて、大変面白い記事を書いていただいたので、この場を借りまして御礼を申し上げます。ありがとうございました(^^)。
……あっ、ちなみに、“偽善”についてのとらえ方についても、認識、ハイ、おっしゃるとおり、わたしと大差ないと思います。言葉の違いです。

ありがとうございました(^^)。
桐生さんに書いていただいた話では、あと数点、関連話題があるので、またちょっと機会を見て書いてみたいと思います。。。

拍手&メールフォーム御礼

12日の5時ごろと、本日の21時ごろ、拍手をいただいた方ありがとうございました(^^)。

年内に「トリップ◎ブラザーズ」の更新が危ぶまれておりますが、それってなぜかって、ホラこんな風にブログに長文書いてるからですよ(笑)!

ありがとうございます。見捨てずに見守っていていただければと切に思う次第です。。

2006/12/14 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:0 | 「しゃべるウサギ」へ

人生は厄介だからこそ面白い

(冬城カナエ、マジになる)

なんか、いろいろHP製作の副業がラストスパートなわけですが、メインPCのモニターがおかしく、いきなりプツンと画面真っ黒。仕方ないのでノートPCで作業です。画面が小さいからイヤなのよね。
そんなわけで、ちょっと今週はブログの更新がおろそかになりそうなので、今日は長いお話を、ヒトツ。

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先日、とあるNPO法人の代表の方とお話しして、大変感銘を受けたので、今日はその話をしようと思います。

そのNPO法人は、20年前ぐらいから設立されている団体で、ひきこもりや登校拒否になってしまった子供たちを受け入れるフリースペースを運営しています。こうしたNPOや施設は、関東圏には最近ずいぶん増えていますが、その中でも先駆けような方々です。何しろ80年代のころからですから。

それで、
代表のAさんは、「決して、昔と今と子供たちが変わったわけじゃない。子供を取り巻く環境が変わっているだけだ」と、話します。

親の期待に沿うようにがんばろうとして、がんばってがんばって、ギブアップが言えなくて、つぶれちゃう子たちが増えている。大事なのは、子供が助けを求めることができるようにしてあげること。子供がSOSを言うことができるようにしてあげること。
今の子供たちは“遊びを与えられて”育っているからか、この先の人生で何が楽しいか分からないし、知らない。
約20%の小中学生が、“生きていても仕方がない”と思っているなんて調査結果もあるんだそうだ。

まあ、そうだろうな、と話を聞いていて思いました。一緒に話しを聞いていたほかのメンバーは、目からウロコというか驚いていましたが。

Aさんも言っていたけど、
“敵”がいて、戦うものが明確で、何にチャレンジしたらいいかが明確だった世の中から、“敵”がいない世の中になった。
“敵”がいれば、きっと楽なのに。

そうだよね……。
わたしも高校生から大学生になるぐらいのころ、
何かと闘わないといけない気がして、なんかギラギラしてたよ。
索敵してたね。
筋肉少女帯の追っかけしてたころが一番アツかったね。冬城は。のめりこめばのめり込むほど、何かが見えるんじゃないかとか思った。
思えばわたしの場合は、あれが闘いだったわけですが(苦笑)。


話がズレました。


それはそうと、
わたしは仕事でそのAさんに話しを聞きに行ったわけで。
NPO法人が、地域にどんな貢献ができるか、みたいなことをメインに話しを聞きにいったわけです。
だから、ちょっと質問をしてみたのです。
その地域で、AさんのNPO法人がどんなイイ事提供できると思います? って。

そうしたらね、代表のAさんは、こう言ったんです。

「いろいろな事情で、自分のペースが守れなくて、うまくやっていけない子って、厄介なんです。でも、僕が一番最初にフリースペースを作った町では、肉屋のおじさんも八百屋のおじさんも、ただ温かく見守ってくれた。普通の子が学校に行く時間なのに、川辺で泥んこになって遊んで商店街をペタペタ歩いてる子たちが居るのを、“なんかワケありなんだな”って察してくれて。買い物をしたら“ホラ、これももっていきな”なんて、コロッケひとつおまけで付けてくれたりね」
「僕のところにくる子は、手間がかかって厄介なんだけど。だけど、そういうところがいいんです。だから、僕も地域の皆さんに厄介ごとをおすそ分けをしたいっていうか……。僕のところにいる子供たちと触れ合ってみてほしいと思います。それでメーワク掛けあって、お互い様、みたいなね」

びっくりしました。
ショックを受けました。
思わずメチャ感銘を受けてしまった。
この人はホンモノだ、と。

ボランティア活動とかして人助けをしてる人って、どこか偽善的な部分が出てくる人が多いっていうか、他人のためでなく“善いことをする自分のため”に働いてる人がいるんですよ。
冬城は、わりとそういう人たちに多く出会ってきたし。
それはわたしとしては、残念に思っていることなんですが、
でも、Aさんはホンモノだと思いました。

「辛いから、それを乗り越えるのが、楽しいんじゃん?」
「厄介だから面白いんだよ」

お互いメーワク掛け合いましょうよ、って、なかなか言える言葉じゃないよ。
しかも、Aさん、すごい楽しそうにそんなこと話しててねえ。
めちゃくちゃ人生を楽しんでることが分かるんだよ。

ああ、分かるぞ。分かるぞ。
極限状態を何回も乗り越えてきたんだなあ、この人は。
壁を乗り越えてきたから、その困難を乗り切ることの楽しさを知ってるんだ。
だから、厄介だけどお互いにメーワク掛け合ったら楽しいよ、ってなことをさらりと言えるんだ。

いい人生の先輩に出会えてよかったなあと、心の底から思いました。
最近、人生の山を登るのにゼェゼェと息を切らしたりしてましたが、もっと頑張れそうです。
とりあえず倒れるまで頑張ろうと思います。

うん、とりあえず、次の一週間を乗り切ればなんとかひと段落着くし。
……なので、ちょっと今週一週間はブログの更新がおろそかなりそうです。

そんなわけでの長文でした。
お読みいただいてありがとうございます(^^)。

拍手&メールフォーム御礼

12/1の14:00ごろ、拍手をいただいた方、ありがとうございます。

何を読んでいただいたのかな。トリブラかなあ。
なにはともあれ、ありがとうございます。ブログの読者様も多くて大変ありがたいことです。今後ともよろしくお願いいたします。

2006/12/03 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:0 | 「しゃべるウサギ」へ

歯が不規則だからこそ、ダイコンを摺っても詰まらない。

(冬城カナエ、マジになる)

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わたしは高校生のとき演劇をやってたわけですが、鴻上尚史の「天使は瞳を閉じて」という芝居があってですね。これをやったんです。うちの演劇部は人数が少ないので脚本のアレンジとかもわたしがやったわけで、わたしはいわゆる監督さんをしてたわけです。

この芝居は、人間の進化をディフォルメして取り扱っているものなのですが、思えば冬城カナエの原点の一つでもあります。

人はどのように進化するのか。
人がどのようにして成長するのか。
ということは、わたしが人生をかけて考えていきたいテーマの一つです。

鴻上尚史は、この芝居の中で、
人間の進化は“突然変異”にあると説きます。
人の進化は一直線に進むのではなく、ランダム性から生まれると言っているのです。
(ミッシングリンク(失われた輪)は、“見つかっていない事実”ではなく“最初から存在していない”と解釈しているのね)

つまり、階段を一段ずつ登るのではなく、
ある時突然階段を二段飛びしたヤツが現れて、その後みんなが二段飛びできるようになるということ。

この考え方は、高校生の冬城にはスゴク斬新だった。
今でも理論ではなく、動物的な勘でこの考え方はある意味正しいんじゃないかと思っている。

機械的な完璧さ、一寸の狂いもなく同じに作られる製品よりも、
わずかなランダム性を残している(※突然変異が起こりうる可能性を秘めた)製品の方が、優れていたりする。

例えば、このダイコングレーターという、大根おろし器。
普通の大根おろし器は、歯が規則的に並んでいるため、すぐに大根に溝が出来て歯が詰まってしまう。
しかし、料理人用に職人が手作りした下ろし金ではそういうことは起こらない。なぜなら、歯が不規則に並んでいるから。

人間の進化からなんで大根おろしの話になるんだよ、ってツッコまないでください(笑)。冬城は真面目です。

大根おろしのこともそうなんだけど、日本の中小製造業にはこれと似たような事例をもつ技術を持つ職人さんがたくさんいるわけで。
社員数人しかいないネジ制作会社で、NASAの宇宙船もそれのネジがないと飛ばないとかね。

人間が一人ひとり、ちょっとずつ違うのはそういったランダム性を生むためだと思うのね。

ああ、なんだか上手く説明できません。
わたしの中ではよく理解していることなんだけどなあ(泣)。

ダメだ。今日は仕事に戻ります。
ちなみに、この大根おろし器は便利そうです。
うっかり、欲しいなとか思いました(笑)。
拍手&メールフォーム御礼

本日、夜中と朝方に拍手をいただきましたお二方、ありがとうございます。

見に来ていただいた上、拍手ポチッと押していただくことは本当に幸せなことです。ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

2006/11/04 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:4 | 「しゃべるウサギ」へ

自分を愛してもいいけど、自分の目を騙すのはダメだ

(冬城カナエ、マジになる)

なんかダルい一週間だった。
というか今日はダンナが夜勤だそうなので、仕事帰りに日帰り温泉にでも行こうと思ったんだけど、生理になっちゃった(男性の方スミマセン)のでやめて、横浜のヨドバシにでも行ってi-podの30GBでも買ってムダな買い物をしようとか思ったんだけど。カード忘れたのでやめて。
結局、家に帰ってきて、
ダンナが嫌いで食べないけどわたしが好きなトマト料理を作って一人でモリモリと食い、
これからデスノートでも見ようと思います。

で、今日の話は、実は半年前に書いておいた幻の記事です。
ちょっと発言キツいかなあと思ってなんとなく下げたものですが、まあそろそろいいかなあということで。

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で、本題に入ります。

アーティスト、とか、クリエイターだとか名乗るんだったら「自分」を騙してはいけないよ、という話。

なんかダンナの会社で、システムのインターフェイス(画面)を作ることになってね。それでなんか知名度だけ高いアーティストを呼んで、そのアーティストのプレゼンを聞いたんだって。
そしたら、ヘナチョコだったんだと。(クライアントの要求にこたえられるものを作れてないくせに、開き直っちゃうようなダメ男だったそうだ)
それでウチのダンナは、いわゆる敵に回すとヤヴァイ人なので(笑)、論理的に追い詰めてボコボコにしてやったんだって。

その話を聞いていて。
わたしも人生のうち、一般人よりはたぶん多くのアーティストに遭う機会に恵まれていると思うんだけど、
なぜか、
話しててムカつくような、自己主張が強くて自己愛が外ににじみ出ちゃってる奴ほど、作品のクオリティが低いんだよね。

なんでかな、と前から思ってたんだけど。
なんか一つ、気づいたのよ。

そういう奴ってアレだ。自分の目を騙してるんじゃないかと。

あのね、とはいっても、
自己愛があふれ出さんばかりの人でも、別にいいと思うの。(冬城だってそうだし)
俺サイコーでもいいと思うの。何かをクリエイトしてるわけだから。

でも、自分を甘やかすのと、自分を愛するのは違うことだと思うの。アーティストやクリエイターにとってはね。
いいものを作るためには。自分の眼鏡にかなったものをつくるためには、自分を楽させてる場合じゃないと思うのよね。
常に、自分が思うサイコーのもの。一定ランク以上のものを生み出さないといけないんじゃないかな。
だから甘やかしてる場合じゃない。むしろ逆だ。

自分のつくるものに対して、厳しい目を持つからこそ。妥協しないからこそ、いいものが出来るわけだと思うのよね。
だから、前述のヘナチョコアーティストみたいな奴は、自分自身を騙して、自分に嘘をつくから、ダメな作品しか作れないんじゃないかなあと思うんだけど。どうだろう?

アーティストは、ぜったいに自分に嘘ついちゃダメだと思う。
自分がつまらない、とか、良くないと思ったものを、発表したり売り込んだりするのはNGだよ。

自分の信ずるものを貫いて欲しい。たとえ周りが口々にお前は間違ってるとか、お前の芸術はくだらないと言っても、自分の信じるものに妥協しないで、自分がサイコーのものを生み出していれば。その姿に他人は必ず感動するようになる。

冬城の持論だけど、ね。

ちなみに、ちょっと前に大道芸の神様とか呼ばれているギリヤーク尼崎さんの狂気の舞(笑)を見る機会があったのですが、
ハッキリ言って、何がどうアートなのか、どの踊りがどういう意味なのかとかぜんぜん分からんのですが、とにかくスゴイ迫力で、ギリヤークさんが自分の芸に関して一切妥協をしていないということが分かったのです。

あの人は、他人の評価なんかを求めていない。常に自分が満足できる最高レベルの芸をするためだけに生きている。すごい。あれぞアーティストだと思った。
繰り返すけど、わたしはギリヤークさん見て感動したね。何やってるかぜんぜん分からんかったけど、感動した。

そういうことだと思うのよね。

……今日の話は長くなりました。
この話題に関連するもので、資本主義的アートと封建主義的アートby宮大工さんの話とか、面白い話はいくつかありますが、今日はこのへんで。

拍手&メールフォーム御礼

■本日「遺言」について“ホロッときた!”と押していただいた方、
ありがとうございました。

すみません、こんな長い記事のあとの御礼で。きっと見過ごされてしまうのではないかと思いつつ……(笑)。

最近、人気の「遺言」です(笑)。地味な小説なのですが、楽しんでいただけてよかったです。
この小説で望月が親友から言われたセリフは、わたしが実際に友人から言われた言葉で、ガツンと頭を殴られたようなショックを味わったものです。

身近なところのドラマを感じてもらいたいと思って書きました。またこういうビジネスものを近いうちに書いてみたいです(^^)。ありがとうございました!

2006/10/27 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:0 | 「しゃべるウサギ」へ

相手をバカにすると自分のためにならない。

(冬城カナエ、マジになる)

最初に言うけれども、決して世の中の男性をバカにするわけでも、蔑むわけでもない。しかし、多くの団塊世代以上の男性は、なんらかの組織などの“システム”に頼ることが骨の髄までしみてしまった状態である。そういった人たちを冬城は良く見かける。その姿は物悲しくもある。
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そんなわけで、今夜の会議はいつものようにおじさんたちと一緒に地域活動について意見を出し合う会。
わたしは一番若輩者なので、こういう時はたいてい黙っていて。ここぞというときにしか発言しないようにしている。

そして冒頭に書いたように、NPO団体のオジサンが得意げに自分の地域活性化案なるものを発表し始めた。

別に間違っていることを主張しているわけでもない。別に見当違いのことを発言しているわけでもない。しかし、具体性が全くないのだ。

新聞に載っているような耳障りのよい言葉を並べて企画書をつくる。もっともらしい組織図や、もっともらしい概念図を並べてみる。(もっともらしいだけで、ちっとも意味が通らないもの)インターミディアリーだの、知っている人しか知らないカタカナ語を平気で使う。

彼には悪気があるわけではない。それはよく分かった。

たとえるなら、
料理をつくるための、蒸し器や鍋のことを詳しく説明してるだけって感じかな。蒸し器がどんな素材で出来てるかとか、鍋が銅で出来ていて熱伝導がいいとかそんなことが書いてあるイメージ。

でもさ、そんなことよりも、
どんな料理をつくるのかということが一番重要なハズじゃない?

カレーをつくるのに、蒸し器は要らないだろう。
餃子をつくるのに寸胴の鍋は要らないだろう。
作る料理にあわせて、道具を選ぶのがフツーだと思うのだけど。おじさんの企画案では、道具に合わせて料理をつくるような感じがしました。


「小さく産んで、大きく育てる」は、けっこうビジネスの基本だ。小規模で手堅く初めて、段々大きくしていくという意味。
身体が小さくないと機敏に動けないでしょ(笑)。階段も上れないよね。

でも、そのオジサンが出してきた案は組織やシステムだけが肥大化しており、「大きく産むので、小さくしか育たない」ものだ。目的を遂げるためには、図体ばかりでかくても意味はない。機敏に動けない。階段も登れない。なぜ、それが分からないのか。

……まあ、たぶんサラリーマンやってきて、自分でモノやコトを生み出したことがないんだろうなと思った。(もっともOLやってるわたしでも、モノやコトを生み出したことはあるけどね)上司の言うことに従って、ハイハイと仕事してきたんじゃないの? 
だから、“カタチ”とか“システム”とか“組織”とかを先に作りたがるんだ。カタチが先にくるのは前世紀のやり方だと思うのよね。21世紀にもなって前世紀のやりかたを引き摺らないで欲しいよ、と正直、思う。

あのおじさんが、自分でモノやコトを生み出し実現させてきた仕事をしてたんだったら、あんな具体性のかけらもないヒドイ企画を自信たっぷりに披露できるはずがない。

……てな感じで、
正直言って、ココロの中でかなりバカにしていた冬城だったが、
そのとき、会のコーディネイト役をしていた経営コンサルタントのオッちゃんが口を挟んだ。(※この人は剃刀のように頭が切れる人だ)

「○○さんの案は素晴らしいですね。これだけ細かい企画書を作ることができるのは素晴らしいです。我々はこういった人材がうまく活躍できるような場所を作っていかなくてはならない」
と、褒めたんだね。で、続けて話を、団塊世代、シルバー人材の活用策の話しにすりかえていく。

ああっ、と思った。さすがだよ、やりよるわ。と。

ダメだからって、言葉で潰すことは、いくらでも出来るんだ。でも、そんな無害なオジサンを潰したところで何にもならないんだ。むしろ褒めて、おじさんが楽しく仕事をやってくれるような(しかも、回りに迷惑がかからないような)道を、さりげなく用意してあげるのべきなんだな、と。

冬城もまだまだだな、と自分を戒めました。
人をバカにしている場合じゃない。

オジサンの企画はダメダメでした。それは誰が見てもそうなんだけど。だからと言って、バカにしてはいけない。物事は中立であるべきであって、自分が善悪をつけてはならないのよ。

自分が物事に善悪をつけると、結果は、ろくなことにならないものだと思うのよね。善悪をつけることで、目が曇るんだ。
本当のものが見えなくなる。

オジサンの企画案がダメだと判断することと、
オジサンをバカにすることは別問題で、
冷静な判断をするのはいいけれど、加えて相手をバカにしてしまうと、自分の目と判断力を、自分自身の手で鈍らせることになるからね。

相手を蔑むと、
結果的に、自分のためにならないってこと。

重ね重ね、
今日は勉強になったなあ。冬城もまだまだ修行が足りないなあ。

そんなこと言いながら、会議の最後に「わたしも次回企画案持ってきてもいいですか?」とか言ってるんだけどさあ(笑)。
企画書、書かせたらアータ、冬城スゴイよ。小説書くより企画書書く方が得意なんですから。ホントダヨ。

2006/08/23 | 冬城カナエ、マジになる | トラックバック:0 | コメント:0 | 「しゃべるウサギ」へ

8/15なので、太平洋戦争モノについて考えてみる

(冬城カナエ、マジになる)

というわけで、終戦記念日です。冬城が戦争モノというジャンルがとても苦手だという話は以前しましたが、いわゆるそれは「玄人が一般人を虐殺する」ことがイヤなわけです。「玄人VS玄人」ならオッケイだし、「業者さんVS業者さん」ならいいわけです。だからギャングものとか殺し合いとかヴァイオレンスもの自体はとても好きです。

で、とにかく8/15なので、今まで避け続けてきた「戦争モノ」というジャンルを小説で書くことはできないかどうかということについて、ちょっと考察してみていと思います。

てなわけで、一見ぜんぜん関係ないように見えますが、この漫画は面白いです。(ウチのダンナが貸してくれたのでけっこう前から読んでる)
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NHKにようこそ! (5) NHKにようこそ! (5)
大岩 ケンヂ、滝本 竜彦 他 (2006/06/23)
角川書店
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大学生の主人公佐藤のひきこもり人生を、ものすごいグループ感で描ききった秀作です。親のスネをかじり、隣の部屋に住んでいた後輩を巻き込んでエロゲーをつくろうと野望を燃やすものの、失敗。美人の先輩に誘われたと思えばそこは練炭自殺サークル。偽善者ヅラした美少女につきまとわれたり。マルチ商法にひっかかったり。オナニーしてるところを親に見られたりとか。もうあらゆる痛いネタを突っ込んであるんだけど、面白いし笑える。

痛いネタを、力技で面白く笑える作品に仕上げてあるのがスゴイです。それも、決して、ひきこもりの人を見下しているのではなく、愛すべき姿として描いていて。自分の実体験の入ったリアルさと、有り得ないハチャメチャさが適度にまざっていて。とても美味しいミックスジュースに仕上がっていると思いました。

わたしが上記のような、ひきこもり系のネタが大嫌いなのは、以前から言ってることですが、ネタの嫌い・好きではなく、面白いものは面白いのだなあと気づかせてくれます。

だから、戦争モノもこういうアプローチで、面白く書けないかどうかと思うのです。

決して不謹慎なことを言ってるとはわたしは思わないのだけど。
というのは、戦争体験を後世に引き継がなければならないと思うからこそ、「戦争を二度としてはいけない」というメッセージを、ダサくなく、カッコ良く。面白い作品で伝える必要があるんじゃないか。
その手法が必ずあるはずだと思うんだよね。

そもそも「目をそむけたくなるようなこと」に、集客力があるとは思えん。たくさんの人に見てもらえるようにするには、分かりやすさと面白さだと思うの。エンタメの基本。

具体的にどうするかは、ちょっ